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93歳で救われた父

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福音コンテンツ - 福音の証し

「T子!分かったよ!  牛が草を食べて生きるように人は、神を食べて生きるんだね。」  電話の向こうの父の声ははずんでいました。
私は父の言葉に思わず耳を疑いました。元日に九州の両親に電話をかけるのを常としていた私は「新年おめでとう!」の言葉しか期待していなかったからです。しかしその年(父93歳)が、まさに父にとって”新年”となったのでした。

よくよく話を聞いてみると今まで「自分は無神論者だ」と言い張っていた父が、以前に私が渡した「人生の奥義」という冊子を読んで、光を得たらしいのでした。それまで、何十年という間、帰省する度に「イエスは主であって、肉体をとって地上に来られたけれども、私たちの罪を担って十字架にかかられ死なれました。けれど復活され、今や命を与える霊として、わたしたちの中に入る」ことが出来るお方なの」と、娘たちと共に、この溢れる命なる御方を宣わかいころべ伝え続けて来ました。しかし父は何としても「自分は無神論者!」を貫くのみでした。
 しかし、とうとう光がやってき来ました。電話での明るい父の声に続いて私は空かさず「良かったね!お父さん!やっと最高の食物を見出せたね。」と喜びを表しました。すると父も「ああ、幸せでいっぱいだ!」との返答。「じゃ神様を食べる最高の方法、前に言ったように主の御名を一緒に呼びましょう!」と私。*(ローマ10:13
       なぜなら、「1主の御名を呼び求める者はすべて2救われる」からです。)
そして二人して「おお主イエスよ!」と何度も何度も繰り返し呼びました。呼びながら私は、祈りに応えて下さった神に感謝すると共に、父が天からの啓示のもと主を味わい知っていることに嬉し涙が止まりませんでした。
 「お父さん、もう何も心配することはないね。」と私。「ああ、なーんにも心配いらないよ。」と父。永年公務員を勤めた父は経済的には心配がなかったものの、何度も病み込み入退院を繰り返し、遂には私の妹夫婦の世話になっている始末。ワンマンを貫いて来た父にとって決して居心地の良い環境ではなかったはずです。
「‥わたしが来たのは羊が命を得、豊かに得るためである。ヨハネ10:10」と御言葉を父と共に味わった甘さは今も忘れられません。
 私ども家族は三月に九州に帰省予定。私はその時に父がバプテスマできるように!切に願い、娘と共に祈りの日々を重ねました。そしていよいよ三月。私も娘もドキドキ‥。
不安を隠すことができません。なぜなら父の気持が主から他のものに向き変わっていないか心配だったのです。
 しかしわたしたちの心配をよそに父は玄関先でわたしたちを出迎えるなり「おお、主イエスよ!」と嬉しそうに叫んだのです。夕刻食事を済ませた後、早速父に更に福音の交わりをし、完全に主のものとなるには、バプテスマが必要であることの御言葉()を示すと父はすんなりと受け入れ素直にバプテスマされたのでした。
 そのとたん彼は、私と夫、娘の面前で「ああ、嬉しい!聖書が読みたい!どうやって読むのか教えてくれ。」と言うのです。これには私たちも驚かされました。神の子として生まれたとたん、聖書に対する渇きがこんな真っ直ぐに興されるとは!!!
まさに聖霊の働きでしかありませんでした。父は無神論者とは言え若いころ飛行機の副操縦士をやっていて、山中で自分だけ奇跡的に助かったこともあり、その時は神様のお・か・げ・と思ったそうです。
聖書を読みたい、という父の熱望に応えて、私は解説のついている回復訳聖書をプレゼントしました。小さい文字だと読みにくいだろうと娘からは大きなルーペもプレゼントされました。
 それから一年‥父が亡くなったとの知らせを妹から聞き、涙の中駆けつけました。安らかな寝顔でした。そしてあの時あげた聖書はあちこちに読書後(ペンのライン)が引かれていました。主は彼を救って下さったばかりか、美味しい食物―聖書にも与らせて下さったのでした。

 
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