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福音コンテンツ -
福音の証し
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今年3月11日午後2時46分に、地震がありました。その時、わたしは徳島市内のPC教室で講習中でした。インターネットによる、動画放映は、言葉を失い、今まで経験したことの無い動揺を、覚えました。他の人たちは、「対岸の火事」のような反応だったのが、不思議に見えました。
臨席の人の友人が、茨城県から徳島市に引っ越してきました。理由は、放射能汚染を恐れてのことです。元々は東京在住でしたが、工房を茨城県に持っていました。彼女は陶芸家で、工房を造れる安全な場所を、徳島に求めていました。 わたしの息子が、就職し一部屋あきました。3月15日のことです。それから一週間ほどして、責任の兄弟にこの度の震災で、部屋の必要のある人はいないか連絡しました。2、3日して、責任の兄弟より「仙台に、行くことができますか?」と言われました。少し躊躇しましたが、「いくことは、できます。」と、答えました。4月2日に仙台のベタニヤハウスに着くと、大勢の韓国の兄弟姉妹と、台湾の兄弟姉妹もいました。昼を過ぎていました。自分のできることはなにか、探しながらの一日目が始まりました。2週間位は、なにがなんだか分からない状態で過ぎました。 わたしは、7年以上も、教会生活から離れていましたので、兄弟姉妹たちの足手まといにならないか、ずっと心配ばかりしていました。いつもは、祈ることは苦手であまりしませんが、ここに着てから、いつも主に祈りました。自分の口、自分の思い、目、耳、行動すべてに、主の制限が加えられますようにと、畏れの気持ちでいました。それは今も、変わりませんが、いつも祈らなければと、必要を感じています。 日々濃密な教会生活が、6月19日にひと段落となり、現在は仙台市民(6月14日住民登録)になりました。主の招きにより、夏の訓練に招待され益々祈りが必要になりました。主よ、感謝します。アーメン。
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